僕は製造業のメッカ・東京都大田区で育った。油の焼けるにおいがする町工場街だ。大田区は世界的に知られた産業集積地と言われる一方で、メディアは大田区製造業の苦境を報道し、街は年を追うごとに工場を解体していた。ある日、自分の実家も工場跡地に建てられていたことを知った。目の前に広がる工場を気にすることなく暮らしていた自分に「何かすべきことがあるんじゃないか」と思った。アテもなく東京の町工場を訪ね歩いたところ、人生は流れ、群馬の町工場のオヤジさん家で共同生活を始めることに。そして、群馬県太田市を拠点に、町工場と力を合わせて、農業機械のカスタマイズや破損部品の修復依頼を請け負うようになる。顕在化していなかった農業現場のニーズを集めて製造業界に新しい仕事をつくり始める。これは「町工場の加工技術そのものを農業者に向けてアプリケーション化したパイオニア」と呼ばれる男のブログ。
2013/10/26
2013/10/19
本庄精密農法研究会
埼玉県本庄市の『本庄精密農法研究会』に講師(一応)として呼んでもらいました!
アンダーグラウンドのさらにアンダーグラウンドからついにメジャーシーンに顔を出す時が・・・
本庄精密農法研究会は、東京農工大学の澁澤栄先生がベースとなって、
有志の農業者を中心に流通業者なども連携して、農業情報化の先進的な取組を進めてきた集団なんだ。
(詳しくはコチラ→http://honyasai.jp/pc/pf/pf01.htm)
澁澤先生はおれが語るのも恐れ多い程に農業界で有名な先生。
実は東京で町工場を訪ね歩いてる時に、もう3年以上前かな、
同じく東京農工大の千賀先生と知り合ったことがきっかけで澁澤先生の研究室に呼んでもらって。
その時は農業機械に関係するとはこれっぽっちも思ってなかった。
当時先生は農業機械学会の会長でもあり製造業の話を色々と教えてもらったけど、
おれは先生の話の9割5分理解できなかった。
話の展開の速さに全くついていけなかった。
鉛筆ナメナメひたすら勉強してたはずなのにと、あまりのショックに膝から崩れ階段を転げ落ちそうになったことを覚えてる。
で、時は流れ、
気付けば農業機械にずっぽり浸かってるおれは、現状報告とアドバイスをもらおうと澁澤先生を再び訪ねた。
あの時からだいぶ鍛えてきましたからねぇと意気込んだものの先生の話にはまだまだ8割方ついていけず、両手で力の限り手すりを掴んで階段を降りるハメになる。笑
だけど何かが伝わったのか「君おもしろいから勉強会で話せ」ということで、
今日に至ったよ。
東京の町工場で見てきたこと、桐生の繊維町工場で気付いたこと、農業機械の分野で取り組んできた事、おれが何を見て何を考えているか、伝えさせてもらった。
お前のパーソナリティーから話せということだったから、もちろんMC HAMMERのこともw
専業農家として真剣に営農されてきた農家さんを前に、
またこの勉強会に呼ばれる講師の方達もすごいメンバーで、相当に身が引き締まったけど、やっぱりこうゆう機会は本当に貴重なんだ。
常に頭をクリアにできてるのは理想だけど、
走りっぱなしだとどうしても煩雑になってしまう。
大晦日やお客さんが来る時に念入りに掃除できるように、
今回このような場を頂いたことで散らかりっぱなしだった自分の頭の中を少し整えることができた。
良いチャンスだった。
勉強会で話をして、手応えも感じることができた。
おれの話が具体的にどうゆう変化につながるかは分からないけど、
ここで終わりではなく、本庄の農家さん達との関係を始められれば嬉しいな。
最後に、
農業でも製造業でも同じだけど、
事業者・大学・行政でタッグを組んで実際に事を起こす地域連携は本当に稀少。
この研究会はさらに流通業者や農協も絡んでるわけで、それだけでもすごい価値がある。
今日は貴重な時間を頂き、前向きな輪に参加させて頂き、ありがとうございました。
本庄精密農法研究会
http://honyasai.jp/pc/index.html
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